漸く、待ちに待った日がやってきた―――
実は、すでに撮影はとっくに始まっていたのだが、その初日にスタントは別撮りだということが分かって、司は目に見えてがっかりと肩を落としたのだった。お蔭で付き人や周辺スタッフらは気の毒にも、超不機嫌極まる司から、わけのわからない八つ当たりをされる羽目になった。
そんな司の心内を知ってか知らずか、大津監督が側に寄ってきて司に言った。
「来週から、雪山ロケに入るからな。スタントも一緒だ」
「オっちゃん!本当!?」
「ああ、どうせ撮るんだから、一緒に撮っちまうさ」
「やりィ!!」
「ヤリ・・・?」
はしゃぐ司を尻目に、大津は言った。
「お前な、ちゃんと脚本読んだんだろうな?すべてスタント任せってわけじゃねんだぞ。スキーくらい出来るのか?ツカサ」
「―――さあ・・・・」
「さあって・・・?」
「やったことねえもん。怪我したら大変だからって、ママが・・・」
「はあああ〜・・・・・ママぁ?」
「冗談だよ。」
呆れた監督に大仰に溜息をつかれたが、司は機嫌よく笑っていた。
そして、ついにその日がきたのである。
自家用ヘリで、現場に到着した司をスタッフらが出迎えた。
「ロケ地はここから、さらにロープウェイで登ったところで―――宿泊は・・・」
司は、助監督が長々と語る説明など全然うわの空で、姫宮の姿を目で探していた。
「それで・・・他の人間は?」
「他・・・?」
「もういい・・・・!」
司は業を煮やしてプイと横を向くと、雪かきのされた道を一人で歩いていこうとした。
道路の脇には数十センチもの雪がこんもりと積もっている。
「司くん・・・?!」
しかし、都会育ちで雪道に慣れていないうえ、普通の革靴を履いている司は数歩も行かないうちに、アスファルトの上の薄い雪につるりと足を滑らせた。
「あっ危ない・・・・!!」
マネージャーの由梨絵が甲高い叫び声を上げ、他のスタッフ達も思わず身を乗り出した。
転んで後頭部を強打する・・・!と誰もが思ったその瞬間、赤いものが突如現れて司の身体を間一髪で支えた。
「おおおおぉー・・・!」
周囲から、大きな感嘆の声が漏れた。
「え―――・・・?」
しかし、司自身はまだ我が身になにが起こったのか分からなかった。
「大丈夫ですか?滑りやすいので気をつけて下さいね」
聞き覚えのある柔らかく澄んだ声がすぐ耳元で聞こえ、司は慌てて後ろを振り返った。
「ひ、姫宮?!」
「ご無沙汰です」
赤いダウンジャケットを着た姫宮はぴょこんと頭を下げると、まだ不安定だった司の身体を抱えて、ちゃんとした体勢に立たせてくれた。
周囲からはまだ驚きの声と、拍手までが湧き起こっている。
「どっから現れたんだ、あの子?」
「全然、見えなかったよ。すごい早業・・・」
「ああ・・・良かった。ここで小河見司に怪我でもさせたら、撮影中止どころじゃ済まないところだったよ」
色々な意味で、その場の誰もが姫宮に惜しげなく喝采を送った。
姫宮は、思いもよらぬ歓声に戸惑いながらも、照れたように頭を下げて応えた。
その傍で司は、ただ黙って久しぶりに見るその整った横顔を食い入るように見つめていた。
再会の喜びよりも、なぜかやたらムラムラと腹が立ってきた。
―――なにが「ご無沙汰です」だ、ケロッとした顔しやがって・・・・。あの時に、せめてもうちょっと話が出来る時間さえあったら、なにも一ヶ月以上も待たなくたって会えたかもしれないのに・・・・。
本来なら礼を言うべき状況であることすら忘れ、司はイキナリ姫宮の胸ぐらを引っ掴むと自分の方を向かせて喚いた。
「姫宮、おまえなっ!誰のお蔭でここに居られると思ってんだ!?あの時は、この俺よりもバイトをとりやがって・・・・!そんなにバイトが大事なら一生バイトしてればいいだろ!!このっ―――・・・」
「-――・・・・・?」
いったい何を怒られているのか把握出来ず、キョトンとして司を見ている姫宮の顔を見て、司の怒りは途中から急降下していった。
―――かわいい・・・やっぱ可愛い・・・・
急に意味不明に怒り出した司が今度は唐突に黙ってしまったので、姫宮はおずおずと躊躇いながらも口を開いた。
「あの・・・、小河見さん・・・」
「なんだよ?」
「これから、よろしくお願いします。俺・・・映画の撮影なんて初めてだから・・・なんか、今から緊張しちゃって、ミスしないか、心配です」
「――ああ・・・そんなの、すぐ慣れるよ・・・」
少しだけ気を良くした司が、そう言いかけたところで、由梨絵が横から割り込んで来て早口に喚きたてた。
「まったくもう・・・。司くん、気をつけてよ。あなたひとりの身体じゃないんですからね!そんな靴でこんな雪道歩くなんて危険よ。とにかく今日はホテルで休んで、明日からの撮影に備えましょう。さあ、車が待ってるから、早くして!」
半ば強引に司の手を引っ張って連れて行こうとする。
「ち、ちょっと待てよ・・・。姫宮も一緒に―――」
「なに言ってるの?泊まる場所が違います。・・・当たり前でしょっ」
由梨絵はブツブツ言いながら、さらに無理やり司を引っ張って行こうとする。
司がロケの時は、常にその土地の一番超一流の宿泊施設の最上級の部屋に泊まることに決まっていた。
コンビニのバイトや街頭の着ぐるみアクションで日銭を稼いで生活している姫宮などが、到底泊まることなんて出来ないような豪華な部屋だ。
「ちょっと、待てってばっ!!」
司は由梨絵を怒鳴りつけると、その手を振りほどいた。
「紙とペン!」
「え・・・?」
「早くしろよ。紙とペンだよ!!」
「・・・もう、なんなの?」
由梨絵が慌ててバッグの中を探っている間、司はスタッフの方に行きかけていた姫宮を、今度は転ばないように注意しながら必死に追いかけ、その腕を引っ掴んで引き戻した。
「―――ったく・・・なんで、おめえはすぐにどっかに行っちまうんだよっ!?少しはじっと俺の傍にいられねえのか?」
「―――はぁ・・・・?」
常識では無茶苦茶な言い分だと分かってはいたが、司は思わず口走っていた。
姫宮は戸惑いの表情を浮かべながらも、「すみません」と頭を小さく下げた。
to be continued....